近隣の情報

品川区文化財ウォ-クラリー報告

前号の品川宿紹介第2弾として、
旧東海道北品川から南品川までの、品川宿東海道沿いにある品川区文化財の紹介です。
この紹介は、品川区文化財ウォークラリー参加により、得た情報によるものです。

品川区文化財紹介-1

法禅寺(北品川2-2-14)
浄土宗寺院の法禅寺は、至得元年(1384)開創と伝えられています。本尊は阿弥陀如来座像です。

法禅寺板碑(品川区指定文化財)
板碑は、鎌倉時代頃より作られた石造の供養塔です。
幕末の品川台場の築造の折に、御殿山の土取場から多くの板碑が出土したため、この寺に収め供養されました。

流民叢塚碑(品川区指定文化財)
この碑は、天保の大飢餓で亡くなった人たちを祀る供養塔です。
品川宿でも多くの餓死者が出ましたので、法禅寺に葬り、塚を築いて、正面左右に各3体の六地蔵を安置しました。

法禅寺山門 板碑写真 供養塔写真

品川区文化財紹介-2

品川神社 (北品川3-7-15)
品川神社は文治3年源頼朝が州崎神社(千葉県館山市)を勤請して祀ったものに始まると言われている。
その後徳川家康が関ヶ原の合戦に出陣する際、神社に祈願し、神輿と仮面を滞納されたそうです。

富士塚 (品川区指定文化財) 
富士山を信仰する富士講の人々が、富士山の遥拝する場所として築いた人工の山です。

品川神社神輿 (品川区指定文化財)
法仏殿には徳川家光が寄贈した神輿が収められています。

板垣退助の墓(品川区指定史跡)
品川神社の社域が、もと東海寺の社域であったため、社殿裏が墓となっており、明治以降に亡くなった板垣一族の墓があります。

品川神社鳥居 品川神社本殿 富士塚7~8合目付近

品川区文化財紹介-3

天妙国寺(南品川2-8-23)
鎌倉時代日蓮の弟子天目上人が開いたと言われています。 現在の本道は18世紀 中ごろに再建されたものです。

天妙国寺五重塔礎石 (品川区指定文化財)
五重塔は室町時代建立され、江戸時代に台風で倒壊しました。3代将軍徳川家光が再建されましたが、さらに大火によって焼失しました。
五重塔は、1本の心柱と16本の柱があり、それぞれ大きな礎石の上に建てられています。

桃中軒雲右衛問の墓 (品川区指定史跡)
明治・大正時代の浪花節(浪曲)の名手で、絶大な人気を博し浪曲界の黄金時代を築いた、浪花節中興の祖といわれ、偉大な足跡をのこしました。

天妙国寺山門 天妙寺本堂 五重塔礎石

品川区文化財紹介-4

品川寺 (南品川3-5-17)
創建は大同年間(806~810)と言われる真言宗醍醐派の別格本山です。

銅像地蔵菩薩座像 (東京都指定文化財)
江戸の入り口6ヶ所に造立した、江戸六地蔵のうちの1つで、品川寺の六地蔵は一番古く
宝永5年(1708年)に造立されたもので、像の高さは275cmであります。

江戸六地蔵の所在
第一番:品川寺(品川)/第二番:東禅寺(浅草)/第三番:太宗寺(新宿)
第四番:真性寺(巣鴨)/第五番:霊巌寺(深川)/第六番:永代寺(深川)

梵 鐘 (国重要美術品)
明暦3年(1657)に造られたもので、周囲に六観音像が浮き彫りされています。
さらに観音経一巻が陰刻されており、世にまれな梵鐘とされております。
梵鐘は慶応3年パリ万国博覧会に、明治4年ウイーン万国博覧会に出展されたものです。

品川寺山門 銅像地蔵菩薩座像 梵 鐘

品川区文化財紹介-5

海雲寺(南品川3-5-21)
この寺は、建長3年(1251)不山和尚(鎌倉建長寺を開いた大覚禅師の弟子)により臨済宗として開かれました。
その後、慶長元年(1596)五世分外祖耕により海晏寺から独立して曹洞宗に改められ、寛文元年(1661)海雲寺に改名され、本尊の十一面観音が安置されました。

千躰荒神堂泰納扁額 (品川区指定文化財)
千躰荒神堂内には多くの扁額が泰納されています。扁額にはお雌雄鳥図が描かれ、鳥は荒神の使いと言われ、古くからお台所に荒神様を祀る習わしがあります。

海雲寺山門 海雲寺本堂

品川区文化財紹介

旧東海道品川宿周辺文化財
 北品川から南品川までの旧東海道沿いの文化財を紹介します。
   〔今回は、品川宿場につきご紹介し、次回は文化財を紹介いたします〕

品川宿について
東海道は、徳川家康1601年(慶長6年)道として東海道が誕生する。
日本橋から三条大橋に至る宿駅は53箇所を東海道53次と言われています。 
品川宿は、江戸からでる諸街道のうち最も重要視された、東海道の1番目の宿場である。
北品川から鈴が森まで3.8キロメートル内には、家々は1600件、人口7,000と言う、宿場とともに遊興な場所であったそうです。 
現在も江戸時代と変わらぬ道幅をもち、タイル張りの整備された商店街が並んでいます。 

毎年9月開催されます 『品川宿場祭り』 は、おいらん道中、砲術鉄砲隊、火渡り荒行や江戸風俗行列など盛大な祭りが挙行されます。

(掲載内容については、品川区文化財ウォークラリー参加資料を参照)

品川宿の旧跡-1

この旧東海道沿いには、昔を偲ぶ、多くの名所・旧跡があり、その面影を紹介いたします。

●品川宿入り口
八つ山橋を渡り
これより品川宿
●旧東海道
今の町並み
●街道夜景
宿場祭り
花魁道中PR

品川宿の旧跡-2

 

●問答河岸跡
三代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が出迎へて古事に習い問答した場所
●土蔵相模跡
旅籠屋の相模屋は外壁が土蔵作りの壁のために、呼ばれた
●黒門横町
東海寺入り口に黒塗り大門があり黒門横町と呼ばれた

品川宿の旧跡-3

●大横丁

御殿山に通ずる道が広いので大横丁と呼ばれた

●品川宿の松

日本橋より2里
川崎へ2里半

●品川宿本陣跡

江戸時代には大名が宿泊した場所(木は土山宿の松)